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共産党宣言

 

 

マルクス・エンゲルス

 

 

Written: Late 1847;
First Published: February 1848;
Source: Marx/Engels Selected Works, Vol. One, Progress Publishers, Moscow, 1969, pp. 98-137;
Translated: Samuel Moore in cooperation with Frederick Engels, 1888;

 

より日本語に翻訳した。 2021年1月6日

 

 

 

 

目次

 

1888年英語版への序文

 

前文

 

第一章 ブルジョアとプロレタリア

 

第二章 プロレタリアと共産主義者

 

第三章 社会主義と共産主義の文献

 

 1.反動的社会主義

 

  A.封建的社会主義

 

  B.プチブルジョア社会主義

 

  C.ドイツの,あるいは「真正」社会主義

 

 2.保守的・ブルジョア的社会主義

 

 3.批判的ユートピア的社会主義・共産主義

 

第四章 種々の既存の反政府党との関係における共産主義者の立場

 

 

 

 

 

1888年英語版への序文

 

宣言は,初めはドイツのみで,後に国際的になった労働者の連合である共産主義者同盟の綱領として出版された。1848年以前の大陸の政治状態の下では同盟は秘密結社であることが避けられなかった,同盟の,1847年11月に開催された会議で,マルクスとエンゲルスは,完全な理論的・実践的な党の綱領を準備することを委託された。ドイツで1848年1月に作成され,原稿は2月24日のフランスの革命の数週間前にロンドンの印刷所に送られた。フランス語訳はパリで1848年6月の暴動の少し前に出版された。ヘレン・マクファーレン嬢による最初の英語訳は,1850年にロンドンで,ジョージ・ジュリアン・ハーネイの「赤い革命」の中に載せられた。デンマーク語とポーランド語版も出版された。

 

パリの1848年6月の暴動の敗北は,最初のプロレタリアートとブルジョアジーの間の偉大な闘争であったが,一時的に,ヨーロッパの労働者階級の社会的政治的願望を再び背景に退けた。その時以来,支配権をめぐる闘争は,2月革命以前と同じように,もっぱら財産の有る階級の中の異なった階層の間で行われた。労働者階級の戦いは政治的な範囲に限定され,中間階級の過激派の極の位置を担った。プロレタリア独自の運動が活発であり続けたところではどこでも,彼らは情け容赦なく追い詰められた。このようにしてプロイセンの警察は当時ケルンにあった共産主義同盟の中央委員会をくまなく手入れした。メンバーたちは捕らえられ,18カ月の投獄の後,1852年10月に裁かれた。この名高い「ケルン共産主義者裁判」は10月4日から11月12日まで続いた。7人の囚人は3年から6年間の要塞への投獄の判決を受けた。判決のすぐ後,同盟は残ったメンバーたちによって正式に解散された。宣言に関しては,以後忘却される運命をたどった。

 

ヨーロッパの労働者が支配階級への次の攻撃のために十分な力を回復したとき,「国際労働者協会」が結成された。しかしこの協会は,ヨーロッパとアメリカのすべての戦闘的プロレタリアートを一つの組織体へと結合する明白な目的で結成されたが,「宣言」で述べられた原則をすぐに宣言することができなかった。協会はイギリスの労働組合や,フランス・ベルギー・イタリア・スペインのプルードンの支持者やドイツのラサール派も受け入れるだけの広範な綱領を持たねばならなかった。

 

マルクスは,この綱領を全ての派にとって満足がいくように作成し,労働者階級が結合された行動と相互的な議論からの結論で,知的に発達することに完全な信頼を置いていた。資本との闘争における真の結果と変化は,勝利よりも敗北が,彼らのお気に入りの解決策の不十分さと労働者階級の解放の真の条件のより完全な洞察を準備することを深く悟らせざるを得ない。そしてマルクスは正しかった。インターナショナルは,その1874年の解散時には,労働者を,それが設立された1864年とは全く異なったものとして残した。フランスのプルードン主義や,ドイツのラサール主義は消えていった,そして保守的なイギリスの労働組合においてさえ,彼らの大部分はインターナショナルと関係を切られてから長い間経つのに,昨年スウォンジーにて会長[W.べヴァン]は彼らの名において「大陸の社会主義は我々にとって脅威ではなくなった。」と言うことができたまでに次第に進歩した。(すでにこの年には大陸の社会主義とはもっぱら「宣言」で布告された理論に他ならなかったのである。(1890年のドイツ語版へのエンゲルスによる序文より))実際,「宣言」で述べられた原理は,すべての国の労働者の間にかなり浸透した。

 

「宣言」自身はこのようにして再び前面に出てきた。1850年以来,ドイツ語版はスイス・イギリス・アメリカで何度か再印刷された。1872年には,ニューヨークで英語に翻訳され,週刊ウッドフル・アンド・クラフリンに掲載された。英語版から,フランス語版がニューヨークのラ・ソシアリステに掲載された。これ以来,多かれ少なかれ不十分な英語訳が少なくとも2つアメリカで出版され,そのうち1つはイギリスでで再出版された。最初のロシア語訳はバクーニンにより,ジュネーブのヘルゼン・コロコル事務所で1863年頃につくられた。2番目のものは,英雄的なヴェーラ・ザスーリッチにより,これもジュネーブで,1882年に発行された。新しいデンマーク語版はコペンハーゲンの,社会民主主義文庫にある。新しいフランス語訳はパリの社会主義者(1886年)に掲載された。この後,スペイン語版がマドリッドで1886年に準備され出版された。ドイツ語の再版は数えきれないほど,少なくとも全体で12はある。何か月か前にコンスタンチノーブルで出版されたアルメニア語訳は,出版者がマルクスの名前のある本を出すことを恐れたが,翻訳者がそれを自分の作品と呼ぶことを断ったため,陽の目を見なかったと聞いている。さらにほかの言語への翻訳のことも私は聞いているが自分の目では見ていない。このように「宣言」の歴史は近代労働者階級の運動を反映している。それがもっとも普及した,全ての社会主義の文献の中で最も国際的な作品で,シベリアからカリフォルニアに至る何百万もの労働者に認められた共通的な綱領であることは疑いがない。

 

しかしながら,それが書かれたとき,我々はそれを「社会主義者宣言」と呼ぶことはできなかった。社会主義者とは,1847年には,一方では,様々なユートピアの体系,イギリスのオーウェン主義者,フランそのフーリエ主義者の支持者と理解されていて,両方ともに単なるセクトの地位に衰退していて次第に消えようとしていた。他方では,社会において最も騒がしい人たちは,職人の作法で,資本と利益には危害を及ぼさず,全ての種類の社会的不満の見せかけだけの救済を公言した。どちらの場合も労働者階級の運動の外にいて,むしろ支持を得るために「教養のある」階級の方を見ていた。単なる政治革命の不十分さを確信するようになり,全社会の変革の必要性を宣言する労働者階級は全て,自分を共産主義者と名乗っていた。それは粗野な,粗削りで,純粋で本能的な種類の共産主義であった。それでも,フランスのカベーやドイツのワイトリングのユートピア共産主義を生み出すほど,核心的な地点に到達していて労働者階級の間で十分に力強いものであった。1847年には,社会主義は中産階級の運動で,共産主義は労働者階級の運動だった。社会主義は,少なくとも大陸では,「尊敬すべき」ものだった。共産主義はその反対だった。我々は,そもそもの初めから,「労働者の解放は労働者階級自身の行為でなければならない」と考えていたから,2つの言葉のうちどちらを採用するかについては疑いの余地がなかった。さらに言えば,我々はかつて,それを否認するなど考えたこともない。

 

「宣言」は,我々の共同の著作であるが,私は核心をなす基礎命題はマルクスによるものであると明言する義務があると考える。その命題とは,すべての歴史の時代において,経済的な生産と交換の支配的な様式が,そしてそれから必然的に導かれる社会の構成が基礎をなし,それだけが,その上に築かれるその時代の政治的・文化的な歴史を説明する。その結果,人類のすべての歴史は(土地を共有する原始的な部族社会の解体以来)搾取する階級と搾取される階級,支配階級と被支配階級の間で争われる階級闘争の歴史である。

これらの階級闘争の歴史は,今日では搾取され抑圧される階級ーープロレタリアートーーは,同時にこれを最後にすべての搾取・抑圧・階級の区別と階級闘争一般から社会を解放することなしには,搾取し支配する階級ーーブルジョアジーーーの支配から自らの解放を達成できない段階に到達したということである。

 

その命題は,私の考えでは,ダーウィンの理論が生物学において行ったことを歴史において行う宿命となったが,我々の二人とも,1845年の何年か前からそれに次第に近づいて行った。私が一人でそれに向かってどれぐらい進んでいたかは,「イギリスにおける労働者階級の状態」に最もよく示されている。しかし私が1845年の春にブリュッセルでマルクスに再会した時,彼はすでに解明を成し遂げていて,私がここに書いたのとほとんど同じぐらい明瞭に私に示した。

 

以下に1872年のドイツ語版への我々の共同の序文から引用する。

 

 

「この25年のうちに多くの情勢は変化したが,「宣言」の一般的な原則は全体として今日においても正しい。あちこちで,詳細については改善の余地がある。原則の実践的な応用は,「宣言」自身が述べているように,どこでもまたいつでも,その時代の歴史的条件に依存するし,それがために,第二章の終わりで提案された革命的諸方策には特別な重みを置いていない。その節は,多くの点で,今日では非常に異なった表現となろう。1848年以来の近代工業の巨人的な歩みの観点からは,労働者階級のそれに伴う進歩と組織化から,始めに二月革命そしてさらに,プロレタリアが丸二カ月間初めて政治権力を掌握したパリ・コミューンの実践の経験の観点から,このプログラムはいくつかの詳細な点において古くなってしまった。特にコミューンによって,とりわけ一つのことが証明された。すなわち,「労働者階級は既存の国家機構を単に掌握し自らの目的に用いることはできない」ということが。(この点がより詳しく展開されている「フランスにおける内乱」を参照。国際労働者協会総評議会の声明1871年。)さらに,社会主義文献の批判は,1847年までの記述なので,今日では不十分であることはおのずと明らかである。それは共産主義者の様々な反対党との関係においても同様である(第四章)。原則においては今も正しいにもかかわらず,政治的状況がすっかり変化し,歴史の進歩がここに列挙されている政治的党派の大部分を地球から一掃したので,実践では古くなっている。

 

しかし,「宣言」は歴史的文書となり,我々にはもはや変更する権利がない。」

 

 

この翻訳はサミュエル・ムーア氏によるもので,彼はマルクスの「資本論」の大部分の翻訳者である。我々は共同して校正し,私は歴史的な引喩のいくつかの説明を追加した。

 

フリードリヒ・エンゲルス

1888年1月30日 ロンドン

前文

 

妖怪がヨーロッパを徘徊している-共産主義の妖怪が。ヨーロッパのすべての旧勢力は,この妖怪を追い払うために聖なる同盟を結んだ。教皇とツァーリ,メッテルニヒとギゾー,フランスの急進派とドイツの警察のスパイが。

 

反対勢力から,共産主義的として非難されなかった反政府党がどこにあろうか?反動的な敵に対してと同様に,より進歩的な反政府党に対して,共産主義という烙印を押す非難を投げかえさなかった反政府党がどこにあろうか?

 

これらから二つの結論が導かれる。

1,共産主義はすべてのヨーロッパの勢力から力としてすでに認められている。

2.共産主義者は公然と,全世界に向かって,その見解,目的,意図を発表し,党自身の宣言をこの共産主義の妖怪譚に対峙する時が来ている。

 

この目的のため,様々な国籍の共産主義者はロンドンに集まり,英語,フランス語,ドイツ語,ドイツ語,イタリア語,フランドル語,デンマーク語で出版するために,以下の宣言を起草した。

 

 

第一章 ブルジョアとプロレタリア(注1)

 

すべてのこれまでに存在した社会の歴史(注2)は階級闘争の歴史である。

 

自由人と奴隷,貴族と平民,領主と農奴,ギルドの親方(注3)と職人,一言で言えば抑圧者と被抑圧者は,絶え間ない,時には隠然と,時には公然と戦いを行い,その帰結は一般社会の革命的再構築か,相争う階級がともに破滅することであった。

 

歴史の早い時期には,我々はほとんどすべてのところで社会の複雑な構成が社会的階級の様々な序列,多様な等級からなることを見出す。古代ローマにおいては貴族,騎士,平民,奴隷。中世では封建領主,家臣,ギルドの親方,職人,徒弟,農奴。ほとんどすべての階級では,さらに下位の等級があった。

 

封建社会の廃墟から生まれた現在のブルジョア社会は階級の敵対を廃止しなかった。それは新しい階級,新しい抑圧条件,新しい闘争形態を古いものの代わりに確立した。

 

我々の時代,ブルジョアの時代は,しかしながら,以下の明確な特徴を持つ。それは階級の対立を単純化した。社会は全体としてますます直接に対峙する二つの大きな敵対する陣営に分かれて行く。ーブルジョアとプロレタリアに。

 

中世の農奴の中から最初の都市の特権市民が現れた。これらの市民の中から最初のブルジョア的な集団が発達した。

 

アメリカの発見,アフリカ南端の岬の回航は勃興するブルジョアに新たな土地を開いた。東インドと中国の市場とアメリカの植民地化,植民地との貿易,商品一般の交換手段と商品一般の増加は,商業に,航海術に,工業に未だかつて知られたことのない衝撃を与えた。それによってよろめく封建社会に革命的な要素を急速に発達させた。

 

産業の生産物が閉鎖的なギルドに独占される工業の封建的システムは,もはや新しい市場の増加していく欲求には十分ではなかった。マニファクチャーがそれに代わった。ギルドの親方はマニファクチャーにおける中間階級によって脇へ退けられた。異なる同業ギルド間の労働者の分業は一つの作業場における労働者の分業の前に消滅した。

 

その間に市場は成長を続け,需要は増加した。マニュファクチャーですら十分ではなくなった。すると蒸気機関が工業生産を革命的に変革した。マニュファクチャーの地位は巨大な近代工業に置き換えられた。工業的中間階級は工業の百万長者へ,全工業軍の指揮官は近代的ブルジョアに置き換わった。

 

近代工業は世界市場を確立したが,これはアメリカの発見によって準備されたものである。この市場は商業に,航海術に,地上での交通に計り知れない発展を促した。この発展は,工業の拡大に反作用した。そして工業・商業・航海術・鉄道の延長,ブルジョアの発達と同じ比率で,資本を増加させ,中世から伝来した全ての階級を背景へと押しやった。

 

我々はこのようにして,近代的ブルジョア自身が発達の長い過程,製造と交換の革命の過程の産物であるかを知る。

 

ブルジョアの発展の各段階に伴って,その階級の政治的前進が伴う。封建貴族の支配下では被抑圧階級,中世の共同体(注4)での武装した自治組織,独立した都市の共和国(イタリアとドイツにおいて)・君主制(フランスにおいて)における課税される「第三階級」,その後マニュファクチャーでは半封建的または絶対君主に貴族に対する均衡物として仕え,そして実際に君主制一般に対する土台であった。ブルジョアは最後に,近代工業と世界市場との確立以来,単独で近代代議制国家における排他的な政治的支配を奪取した。近代国家の執行機関は全ブルジョアの共通的事務を管理する委員会にすぎない。

 

ブルジョアは歴史的にきわめて革命的な役割を演じた。

 

ブルジョアは,自らが支配したところではどこでも,封建的・家父長的・牧歌的関係を終わらせた。それは人を「自然な上位者」へと結びつける雑多な封建的紐帯を無残にもバラバラに引き裂き,人と人の間にむき出しの利己,強固な「現金支払い」以外の何物も残さなかった。それは宗教的熱情の,騎士道の感激の,俗物のセンチメンタリズムの最も天上的な歓喜を利己的な計算の冷水の中に溺れさせた。それは個人的価値を交換価値に解消し,無数の破棄できない公認の自由の代わりに,単純な非良心的な自由ー商売の自由ーで置き換えた。一言で言えば,宗教と政治的幻想のベールで覆われた搾取を,剥き出しで恥知らずの直接で暴力的な搾取で置き換えた。

 

ブルジョアジーはそれまで名誉ある畏敬の念をもって見られていたあらゆる職業から後光をはぎ取った。ブルジョアジーは医師を,法律家を,僧侶を,詩人を,科学者を賃労働者に変えた。

 

ブルジョアジーは家族からその感傷的なベールを引き裂き,家族の関係を単なる金銭関係へと貶めた。

 

ブルジョアジーは反動家が称賛する中世の活力の粗野な発揮はもっとも怠惰な状態の中にその補完物を見出すことをあらわにした。それは人間の活動がもたらした最初のものであった。それはエジプトのピラミッドやローマの水道やゴシック式の大聖堂よりもはるかに卓越した驚異を達成した。それは過去のエジプト出国や十字軍を目立たなくさせる遠征を行った。

 

ブルジョアジーは常に生産手段を,従って生産関係を,そしてそれによって社会の関係を革新することなしには生存できない。それに対して,古い生産様式をもとのままの形に保全することが,古い生産階級の存在条件であった。生産の絶え間ない革命,すべての社会的条件の絶え間ない動揺,永遠に続く不確実性と攪乱がブルジョアジーの時代を全ての前時代と区別する。古く由緒ある偏見と見解の長い列を伴う固定した硬く凍り付いた関係は一掃され,新しく形成されたものは固定する前に時代遅れのものになった。固体は空中へと溶け,すべての神聖なものは汚され,人はついに彼らの真の生活の状態と彼の種族との関係に正気で直面することを強制される。

 

生産物の常に広がる市場の必要性は,ブルジョアジーを地球の全表面に駆り立てる。それはどこにでも身を落ち着け,どこにでも定住し,どこにでも結びつきを確立しなければならない。

 

ブルジョアジーは世界の搾取を通じて生産物と消費に全世界的な性格を与える。反動家にとっては悔しいことに,それは産業の足元から,それがよって立つ国民的基礎を取り去った。すべての古く確立された国民的産業は破壊されたか,毎日破壊されている。それらはその導入が文明化された国民の死活の問題である新しい産業によって,もはや土着の生の素材では作られない,最果ての地からの生の素材によって作られる新しい産業によって押しのけられた。生産物は自国だけではなく地球上のすべての地域で消費される。我々は,祖国の産物により満たされる古い欲求に代わって,それを満たすためには遠く離れた地の産物が必要な新しい欲求を見出す。古い地域的・国民的な隔離と自給自足に代わって,我々はあらゆる方向の関係・全世界的な国民の相互依存関係を持つようになる。そして物質においてと同様なことが,文化的な生産物でも起きる。個々の国の文化的創造物は共通の性質を持つようになる。国民的一面性や狭量はますます不可能になり,多数の国民的地方的文学の代わりに一つの世界文学が現れる。

 

ブルジョアジーは製造機械の速やかな改善によって,非常に容易になった交通手段によって,最も未開な国民をも文明に引き入れる。商品の安い価格は中国の城壁をもすべて打ち砕く重砲兵であり,それによって未開人の外国人への服従に対する激しい嫌悪を打ち破る。それはすべての国民に,絶滅への恐怖でもって,製造のブルジョア方式を採用することを強制する。それは彼らの中心に文明と呼ばれるものを導入することを強要する。すなわち,彼ら自身がブルジョアになることを。一言で言えば,ブルジョアは自分の姿を基準として世界を創造する。

 

ブルジョアは地方を都会のルールに服従させた。それは巨大な都市を創造し,農村と比較し都会の人口を大幅に増加させ,このようにして相当な部分の人口を農村生活の愚昧から救い出した。ブルジョアは地方を都会へ従属させたのと同じように,未開人・半未開人の国を文明国へ,農耕民族をブルジョアの民族へ,東洋を西洋に従属させた。

 

ブルジョアは人口,生産手段,財産の希薄な状態をますます取り除いた。それは人口を集中させ,生産手段を集中させ,財産を少数者へと集中させた。この必然的な結果は政治上の集権である。異なった利益,法律,政治,税制を持つ,独立しているが緩やかに結合している地方は,1つの政府,1つの法律,1つの階級的利害,1つの国境,1つの関税を持つ1つの国家にまとまった。

 

ブルジョアは,その100年にも満たない支配の間に,それに先立つ全世代を合わせたよりも大規模で巨大な生産力を作り出した。自然力の人間への従属,機械,化学の工業と農業への応用,蒸気力,鉄道,電信,全大陸の耕地化,川の運河化,地中からの全人口の呼び出しーー先行するどの世紀において,このような生産力が社会的労働の膝に眠っていると予感されただろうか?

 

我々は,生産と交換の手段,ブルジョアがその基礎の上に発展したものは封建社会に生み出されたことを知る。これらの生産と交換の手段の発達のある段階において,封建社会が生産し交換する条件,農業とマニュファクチャー工業の封建的組織,一言で言えば所有の封建的関係はもはや発達した生産力とは適合しなくなった。それらは桎梏となった。それらは粉々に爆破されなければならなかったし,粉々に爆破された。

 

その代わりに,それに適合した社会的政治的構成を持ちブルジョア階級が経済的・政治的に支配する自由競争がやってきた。

 

我々自身の目に同様な運動が起きているのが見える。生産の,交換の,所有の関係おいて,現代のブルジョア社会は,このような巨大な生産と交換を呪文を使って呼び出した社会は,自分が呪文で呼び出した地下世界の魔物をもはや制御できない魔術師のようだ。何十年もの間の過去の工業と商業の歴史は,現代の生産力の現代の生産様式への,ブルジョアとその支配の存在条件である所有関係への反乱の歴史にすぎない。これには周期的発生によって全ブルジョア社会を苦難に陥れる,毎回より脅威的になる商業恐慌について言及すれば十分である。この恐慌では,現在の生産物のみならず過去につくられた生産力の大きな割合が周期的に破壊される。これらの恐慌において,過去の時代には不条理と見えた流行病が発生するー過剰生産の流行病が。社会は突然一時的な野蛮の状態へと戻されたことが見いだされる。それは飢饉や世界戦争のようにすべての生存手段の供給を断ち,産業と商業が破壊されたように見える。それはなぜか?文明が進みすぎ生存手段が過剰で工業が過剰で商業が過剰だからだ。社会的に処理される生産力はもはやブルジョア的所有の条件を発達させない。その代わり,それらは強力になりすぎて彼らの足枷となり,それらはブルジョア的所有の存在を危険にさらす混乱を全ブルジョア社会にもたらす。ブルジョア社会の条件はそれにより創造された富を収納するには狭くなりすぎた。そしてブルジョアジーはいかにしてこの危機を乗り越えるだろうか?一方では大量の生産手段の強制的廃棄によって,一方では新しい市場の征服によって,そして既存の市場の徹底的な搾取によって。それはつまり,より広範な破壊の危機への道を敷いて危機を避ける手段を少なくすることによってである。

 

ブルジョアジーが封建制を倒すために用いた武器が今やブルジョアジー自身に向けられている。

 

だがブルジョアジーは自分を亡ぼす武器を鍛えただけでなく,その武器をふるう人の存在をも呼び出した。 - 近代労働者階級 - プロレタリアを。

 

ブルジョアジー,すなわち資本が成長する割合と,近代の労働者階級のプロレタリアも同じ割合で成長した - 仕事を見つけられる間だけ生存し,労働が資本を増やす限りにおいて仕事を見つけられる労働者階級が。これらの労働者は自分自身を切り売りせねばならず,他のすべての商品と同じく商品である。そしてその結果,全ての競争の浮沈,全ての市場の変動にさらされる。

 

機械の広範な使用と,労働の分業によって,プロレタリアの仕事は独自の性格を失い,その結果労働者にとっての魅力を失った。彼は機械の補足物となり,最も単純な,最も単調な,最も技能を得るのは簡単なものが彼に要求される。それゆえ,労働者を生産するコストは,彼が生活の維持と種の繁殖のために要する生存手段へと,ほとんど完全に制限される。しかし商品の価格は,そして労働の価格もまた,その生産費に等しい。それゆえ,労働の不快さが増大するのと比例して,賃金は下がる。いや,さらに,機械の使用・分業の増加と比例して,労働時間の延長・与えられた時間における労働の増加・機械の速度の上昇などによって労苦の負担が増加するのと比例して。

 

近代工業は家父長制の主人の小さな作業場を産業資本家の大きな工場へと変貌させた。労働者の大衆は,工場の中にひしめき,兵士のように組織された。産業軍の兵士として,彼らは将校や軍曹の完全な階層構造の指揮下にいる。彼らはブルジョア階級に,ブルジョア国家に隷属するのみならず,彼らは毎日,毎時間,機械に,見張り人に,そしてそれ以上に,ブルジョア製造業者自身にも隷属する。この専制が利益が最終目的だとあからさまに宣言すればするほど,それは狭量で厭わしいみじめなものになる。

 

人手の労働に含まれていた技量や力の行使が少なくなればなるほど,他の言葉で言えば近代工業が発達するほど,男性の労働は女性の労働にとってかわられた。年齢と性別はもはや労働者階級にとって,特有の社会的有効性を持たなくなった。全ては,年齢と性別によって使う費用がかかったりかからなかったりする労働用具である。

 

製造業者による労働者の搾取が終わって賃金を現金で受け取るや否や,彼はブルジョアジーの他の部分,家主,小売店主,質屋に襲われる。

 

中間階級の下層 - 小商人,小売店主や隠居した商人全般,手工業者や小農 - は全て次第にプロレタリアへと零落する,部分的には彼らの少ない資本が近代工業を実施できる規模には不足していて,大資本との競争に飲み込まれるゆえに,また部分的には彼らの特殊な技能が新しい製造方法によって無価値になるゆえに。かくしてプロレタリアは人口のあらゆる階級から補充される。

 

プロレタリアートは様々な発展段階を通過する。その誕生はブルジョアジーと闘うことより始まる。始めは個々の労働者によって,次に工場労働者によって,さらに一つの地方の一つの工業の担い手によって,彼らを直接に搾取する個々のブルジョアと闘う。彼らは製造のブルジョア的条件に対して直接に攻撃しただけでなく,製造機械そのものに対しても攻撃した。彼らは彼らの労働と競争する輸入品を破壊し,工場を燃やし,中世の働く人の消え去った状態を強制的に取り戻そうと努めた。

 

この段階で,労働者はなおも全国に散らばったまとまりのない集団を形成し,彼ら相互の競争によって引き裂かれている。もしどこかで彼らがよりまとまった結合へと形成されたとしたら,それは未だ彼ら自身の能動的な結合の結果ではなく,自分自身の政治的目的を達成するために全プロレタリアートを運動へと引き入れることを強いられ,さらに一時的にそうすることが可能なブルジョアジー階級の結合のせいである。この段階では,それ故,プロレタリアはその敵とは戦わず,敵の敵,すなわち専制君主制の残党,地主,非工業ブルジョア,小ブルジョアと戦う。このようにして,全歴史的運動はブルジョアジーの手に集中し,達成されたすべての勝利はブルジョアジーの勝利である。

 

しかし工業の発展ともに,プロレタリアートは人数を増やすだけでなく,大きな集団へと集合し,その力を増し,より力を感じる。プロレタリア階級内の様々な利害と生存条件は,機械化が労働の差異を消してしまい,どこでも賃金は同じ低い水準に低下することにより,ますます平準化される。ブルジョアの間の競争が激化し,結果として商業恐慌が起きると,労働者の賃金はさらに不安定になる。機械の改良はかつて無く急速に発展し,彼らの生活はますます不安定になる。個々の労働者と個々のブルジョアの衝突は二つの階級間の衝突の様相を帯びる。そしてそこで,ブルジョアに対抗し,労働者は結合(労働組合)を組織し始める。彼らは賃金の相場を維持するために協力する。彼らは時折の反乱のための糧を予め蓄えるために恒久的な協会を設立する。あちこちで抗争が発生し暴動へと発展する。

 

時々労働者は勝利する,しかしそれは一時にすぎない。闘争の真の成果は,すぐに現れる結果ではなく,労働者の常に拡大していく団結にある。団結は近代工業が作り出した改善された交通手段により促進され,それは異なった地点の労働者をたがいに結び付ける。数多くの同種の地方的な闘争を階級間の全国的な闘争へと集約させるために必要なのはこの結び付きである。しかしすべての階級闘争は政治闘争である。そしてその団結は,中世の市民が貧弱な道路を使って数世紀かかって達成したが,近代プロレタリアは鉄道のおかげで数年で達成する。

 

プロレタリアの階級への形成,そして結果として政治的党派への組織化は,常に労働者自身の中での競争によって覆される。しかし常により強く強固で力強くなって復活する。それは,ブルジョア自身の間の分裂を利用して,労働者の特別な利害を法律として制定することを強いる。このようにして,イギリスにおいて10時間労働法が施行された。

 

 

古い社会の階級間の衝突は,いろいろな方法で,プロレタリアートの発達を促進する。ブルジョアは自身が絶え間ない闘争の中にいることを見出す。始めは貴族政治と,のちには工業の進展の障害になったブルジョア自身と。そして常に,外国のブルジョアと。これらの闘いにおいて,プロレタリアに援助を要請し,かくして彼らを政治的領域に引き入れる。ブルジョア自身,それによって,プロレタリアに自身の政治的,一般的教育の要素を提供する。言葉をかえて言えば,ブルジョアと闘うための武器を提供する。

 

さらに,すでに我々が見たように,支配階級のあらゆる部分は,工業の進展によって,プロレタリアへと零落するか,あるいは少なくとも彼らの生存条件を脅かされる。これらもまたプロレタリアに啓蒙と進歩の新しい基礎を提供する。

 

最後に,階級闘争の決定的瞬間においては,支配階級の中での解体の過程が進行し,事実旧社会の全範囲が,暴力でひどいものと思い始め,支配階級の小部分が離脱して未来を手に入れる革命的階級に参加する。それ故,早い時期には貴族の一部分がブルジョアに移行したように,今度はブルジョアの一部分が,特に,歴史の運動全体を理論的に理解する水準に達したブルジョア思想家がプロレタリアに移行する。

 

今日ブルジョアに対峙する全ての階級の中で,プロレタリアだけが真に革命的階級である。ほかの階級は近代工業 ー プロレタリアはその特別に重要な産物である ー に直面し最後には消滅した。

 

下層中間階級,つまり小製造業者,小売店主,職人,農民は,全て中間階級の一部としての自らの存在を絶滅から守るためにブルジョアと戦う。彼らはそれゆえ,革命的ではなく保守的である。それどころか,彼らは歴史の車輪を逆に回そうとするから反動的である。たまたま彼らがプロレタリアに移行することが差し迫っていることを考慮する時のみ,彼らは革命的である。彼らはこのようにして現在ではなく未来の利害を守り彼ら自身がよって立つ自らの立場を捨ててプロレタリアの立場に立つ。

 

危険な階級(ルンペンプロレタリアート),社会の浮き滓,旧社会の最下層より投げ込まれた受動的な腐敗物は,あちこちで,プロレタリア革命により運動に投げ込まれうる。しかしその生存条件より,彼らはずっと反動派の策謀の買収対象になりやすい。

 

プロレタリアートの状態では,旧社会の大部分はすでに事実上使い物にならない。プロレタリアは財産を持たない。彼の妻や子との関係はブルジョアの家族関係と共通物を何も持たない。近代工業の労働,近代の資本への服属は,イギリスでもフランスでもアメリカでもドイツでも,彼から全ての国民的性格の痕跡を剥ぎ取った。法律,道徳,宗教は彼にとって,多数のブルジョアの利害が背後に潜むブルジョア的偏見である。

 

支配を勝ち取ったすべての先行する階級は,彼らの取得の条件に社会一般を従わせることによって,彼らがすでに得た地位を強固にした。プロレタリアは今迄の彼ら自身の取得とさらにまた今迄の全ての取得の様式を廃止することなく社会の生産力の主人になることはできない。彼らは自身を安定させる,また強固にする何物も持たない。彼らの使命は,今迄の全ての安定の保障を,個人的な所有を打ち砕くことである。

 

今迄の全ての歴史の運動は少数者の運動であるか,少数者の利害のためのものであった。プロレタリアの運動は自覚的な,膨大な多数者の運動であり,膨大の多数者の利益のためのものである。プロレタリア,我々の現在の社会の下層階級は,公的社会の全ての上層を空中にはじき飛ばすことなしには,身を起こし立ち上がることができない。

 

実質においてではなく,形式的には,プロレタリアートのブルジョアジーとの闘いは最初は国民的闘争である。各国のプロレタリアートは,もちろん,最初は自身の国のブルジョアジーを片付けねばならない。

 

プロレタリアートの発達のもっとも一般的な様相を叙述するにあたって,我々は,既存の社会で革命の序曲として開始されるまで燃え上がる多かれ少なかれ隠された内戦についてたどってきた。ここに至って,ブルジョアジーの暴力的打倒がプロレタリアの支配の礎として築かれる。

 

すでに見たように,これまでは全ての社会は,抑圧階級と被抑圧階級の対立の上に形成されていた。しかし階級を抑圧するためには,何らかの条件が被抑圧階級が少なくともその奴隷的な生存を続けることを保証しなければならなかった。封建制のくびきの下での小ブルジョアがブルジョアへと発展したのと同じように,農奴制の時代における農奴はコミューンのメンバーに成り上がった。近代の労働者は,それに対し,工業の進展とともに地位を上げる代わりに,彼ら自身の階級の生存条件より下へ下へと沈み込む。彼は貧困に陥り,貧困は人口や富より急速に増大する。そして今や,ブルジョアジーはもはや支配階級として存在し,その生存条件を主要な規則として社会に課すのにふさわしくないことが明らかとなる。奴隷制の下での奴隷の生存を保証することができないから,ブルジョアジーは支配するのにふさわしくない。なぜなら奴隷に養われる代わりに奴隷を養う状態に奴隷を落とさざるを得ないからである。社会はもはやブルジョアジーの下では生きられない。言葉をかえれば,もはやブルジョアジーの存在は社会にそぐわない。

 

ブルジョア階級の存在と支配の条件は資本の形成と増大である。資本の条件は賃労働である。賃労働はもっぱら労働者の競争に依存する。ブルジョアジーが無意識的に推進する工業の進展は,競争による労働者の孤立を団結による革命的結束に置き換える。近代工業の発展は,それ故,ブルジョアジーが生産し生産物を占有するまさにその基礎を足下へと切り落とす。ブルジョアジーがそのようにして作り出したものは,なにより,ブルジョアジー自身の墓堀人である。ブルジョアジーの没落とプロレタリアートの勝利は,ともに避けられない。

 

 

注釈

 

(注1)ブルジョアジーは近代資本家階級を意味し,社会的生産手段の所有者で賃労働者の雇い主である。

プロレタリアートは,近代賃金労働者の階級で,自身の生産手段を持たず生きるために自らの労働力を売るしかない。

[エンゲルス 1888年英語版]

 

(注2)すなわち,書かれた歴史について。1847年には社会の前史,記録された歴史に先立つ社会組織の存在は全く知られていなかった。それ以降,アウグスト・フォン・ハックスタウゼン(1792-1866)はロシアにおける土地の共同所有を発見し,ゲオルグ・ルートヴィヒ・フォン・マウラーはそれがチュートン族が歴史を開始した社会的基礎であることを証明し,そしてまもなく,村落共同体がインドからアイルランドに至るまでのすべての社会の原始形態である,またはあったということを発見した。この原始的共産社会の内部の組織は,典型的な形ではルイス・ヘンリー・モーガン(1818-1881) の氏族とその部族との関係の最終的な発見により明らかにされた。原始共同体の解体によって,社会は分離へと向かい最終的には敵対的な階級に分化される。私は「家族,私有財産及び国家の起源」(第二版 シュトゥットガルト 1886年)で辿ることを企てた。

[エンゲルス 1888年英語版 および1890年ドイツ語版(最後の文は省略)]

 

(注3)ギルドマスターは,ギルドの正会員で,ギルドに所属する親方の事で,ギルドの長ではない。

[エンゲルス 1888年英語版]

 

(注4)これは,イタリアとフランスの市民が封建領主より彼らの最初の自治権を購入するか力で奪った後,彼らにより都市共同体に与えられた名前である。

[エンゲルス 1890年ドイツ語版]

 

「コミューン」はフランスにおいて,発生期の町の名前として,封建領主から奪い地方的な自治と政治的権利を「第三身分」として勝ち取る前から使われていた。一般的に言って,ブルジョアの経済的な発展ではイギリスが典型的な国であり,政治的な発展ではフランスである。

[エンゲルス 1888年英語版]

 

第二章 プロレタリアと共産主義者

 

共産主義者はプロレタリア全体とどんな関係にあるか?

 

共産主義者は他の労働者階級の政党に対立する別の政党を作ったりしない。

 

彼らはプロレタリアート全体と切り離された別の利害を持たない。

 

彼らはプロレタリアの運動を型にはめる彼ら自身の何らかの党派的な原則を打ち建てたりはしない。

 

共産主義者は他の労働者階級の政党と,次の点でのみ区別される。

1.異なる国のプロレタリアの国民的な闘争において,国籍によらない全プロレタリアの共通の利害を示し前面に出す。

2.労働者階級のブルジョアジーに対する闘争が経過する様々な段階において,彼らはいつもまたどこでも,運動全体の利害を代表する。

 

共産主義者は,それ故,一方では,実践上,全ての他の党派を前に進める,全ての国で労働者階級の政党のもっとも進んでいて決然とした党派であり,他方では,理論上,彼らはプロレタリアートの大衆よりも,プロレタリアの運動の進路,条件,究極の結果を明確に理解している点で優っている。

 

共産主義者の当面の目的は,全ての他のプロレタリア政党と同じく,プロレタリアートの階級への形成,ブルジョアの支配の打倒,プロレタリアートの政治的権力の獲得である。

 

共産主義者の理論的結論は,これやあれやの万能の改革者を自称する者が発明したり発見した着想や原理に基づくものでは決してない。

 

彼らは単に,概括的に言えば,現存する階級闘争から,まさに我々の目の前で起こっている歴史的な運動から生じる現実の関連を表現するにすぎない。既存の所有関係の廃止は少しも共産主義に特有の特徴ではない。

 

全ての過去の所有関係は,常に,歴史的条件の変化の結果として生じる歴史の変化の対象であった。

 

例えばフランス革命は,ブルジョア的所有のために封建的所有を廃止した。

 

共産主義の他と区別される特徴は所有一般の廃止ではなく,ブルジョア的所有の廃止である。しかし近代ブルジョアの私的所有は,階級の対立と少数者による多数者の搾取に基づく,生産と生産物の専有の制度のもっとも最後の完全な表現である。

 

この意味で,共産主義の理論は,私的所有の廃止の一言で要約される。

 

我々共産主義者は,人間自身の労働の成果として獲得した個人的財産権を廃止することを望んでいると非難されてきた。その財産はすべての個人的自由・活動・独立性の基礎と主張される。

 

苦労して得た,自分で獲得した,自分で稼いだ財産!

君は,ブルジョアの形態に先行した小職人や小農夫の財産のことを言っているのか?それは廃止するまでもない。工業の発達が広範囲にわたって既にそれを破壊したし,また毎日破壊している。

 

それとも近代ブルジョアの私的所有のことを言っているのか?

 

しかし賃労働は労働者に何らかの財産を作り出すか?少しも作らない。それは資本 ー すなわち,賃労働者を搾取し,新たな搾取のための賃労働者を新たに作り出す条件のもとでなくては増やすことができない資本 ー を作り出す。

財産は,現在の形態では,資本と賃労働の対立に基づく。この対立の両面を調べてみよう。

 

資本家であることは,純粋に私的であるのみならず,生産においては社会的な地位である。資本は共同の生産物であり,多くの構成員の結合された行動によってのみ,いや,最終的には社会の全構成員の結合された行動によってのみ動かすことができる。

 

資本はそれ故,私的であるのみならず,社会的な力である。

 

それ故,資本が共同の財産,社会の全構成員の財産に転換された時,私的財産がそれによって社会的財産に変換されるのではない。変化するのは財産の社会的性格だけである。それは階級的性格を失う。

 

賃労働を取り上げてみよう。

 

賃労働の平均的価格は最低の賃金である,すなわち,労働者を労働者としての裸の生存条件を維持するのに絶対に必要な生存手段の量である。それ故,賃労働者が彼の労働によって得るものは,単に裸の生存を延ばして再生産するのに十分であるにすぎない。我々は決してこの労働の生産物の私的な取得,人類の生命を維持し再生産するための,他人の労働を支配するための余剰を少しも残さない取得を廃止しようと意図しない。我々が廃止することを欲することのすべては,労働者は単に資本を増加するために生き,支配階級の利害が要求する限りにおいてしか生きることを許されないという,この取得の悲惨な性格である。

ブルジョア社会では,生きている労働者は蓄積された労働を増やすための手段である。共産主義社会では,蓄積された労働は労働者の生存を広げ豊かにし増進するための手段である。

 

ブルジョア社会では,それ故,過去が現在を支配する。共産主義社会では,現在が過去を支配する。ブルジョア社会では資本が独立し人格を持ち,生きている人間は従属的で人格を持たない。

 

そしてこの事態の廃止はブルジョアによって人格や自由の廃止と呼ばれる!いかにもその通りだ。ブルジョア的人格,ブルジョア的独立,ブルジョア的自由の廃止を我々は確かに目指している。

 

自由とは,今日のブルジョア的な生産の条件の下では,自由な商業,自由な売買を意味する。

 

しかし売買が無くなれば,自由な売買もまた無くなる。この自由な売買についての話は,そして他のすべての自由一般についてのブルジョアの「勇ましい言葉」は,もし意味があるのなら,中世の束縛された商人の制限された売買との対比で意味を持つにすぎない。しかし共産主義における,売買の,生産のブルジョア的条件の,そしてブルジョア自身の廃止との対比では意味を持たない。

 

君たちは我々が私的財産を廃止することを意図していることを恐れる。しかし君たちの現存する社会では,人口の10分の9にとっては既に廃止されている。ほんの少数者にとってのその存在は,これら10分の9の掌中に存在しないことによる。君たちは,それ故,我々を,財産の存在の必要条件は社会の計り知れない多数者にとって財産が存在しないことである財産の形態を,廃止することを意図すると言って責めているのだ。

 

一言で言えば,君たちは我々を,君たちの財産を廃止することを意図しているとして責める。いかにも,それが我々が意図していることだ。

 

労働がもはや資本や現金や地代に,独占が可能な社会的力に変換することができなくなった時より,すなわち私有財産がブルジョア的財産,資本に姿を変えることができなくなったとき,君たちは,個人は消滅したという。

 

君たちは,それ故,「個人」という言葉でブルジョアや中間階級の財産の所有者以外の者を意味していないことを告白せねばならない。こういう個人は,確かに,一掃しなければならない。

 

共産主義は誰からも社会の生産物の取得を奪うものではない。我々が行うのはこのような取得によって他人の労働を支配する力を奪うことだけだ。

 

私的所有の廃止によって,すべての労働は停止してしまい,全般的な怠惰が我々を支配すると異議が唱えられてきた。

 

これによると,ブルジョア社会はずっと前に無為によって滅んでいなければならない。というのは,その構成員のうちで働くものは何も得ず,何かを得るものは働かないからである。この異議全体は,資本家がいなければ賃労働者もいないという同意反復の別表現である。

 

共産主義的な物資の生産と配分に対する異議は,同じく,共産主義的な知的生産と配分に対する異議を呼び起こした。ブルジョアにとって,階級の財産の消滅は生産物それ自体の消滅であるのと同様,階級的文化の消滅は彼にとって文化全般の消滅と同じことなのだ。

 

彼がその消滅を嘆き悲しむ文化とは,膨大な多数者にとっては,機械として働く訓練にすぎない。

 

しかし我々が意図するブルジョアの財産の廃止に対し,君たちブルジョアの自由や文化や法律などの概念の基準で我々と論争するのはもうやめ給え。君のまさにその考えは君たちのブルジョア的生産とブルジョア的所有の状態の結果にすぎないし,君たちの法体系が法律の中へと作りこんだ君たちの階級の意志にすぎないし,その意志の本質的な性格と方向は君たちの階級の経済的な生存条件によって決定される。

 

君たちの,現在の社会の生産と所有の形態,すなわち生産の発展の中で現れまた消えゆく歴史的関係を,自然と理性の永遠の法へと誘導する自分本位な誤解,これを君たちは先行する全ての支配階級と共有する。君たちが古代の所有の場合に,君たちが封建的所有の中に明確に認識したものを,君たちはもちろん自身のブルジョア的所有形態の場合に認めようとしない。

 

家族の廃止[止揚]!もっとも急進的な者ですら,共産主義者のこの悪名高い提案にはむきになって怒り出す。

 

今日の家族,ブルジョアの家族はどんな基礎の上に築かれているか?資本であり,私的な利益である。そのもっとも発達した形態においては,この家族はブルジョアジーの中だけに存在する。しかしこの事情は,プロレタリアの実質的な無家族や公娼制度にその補足物を見出す。

 

ブルジョアの家族はその補足物が消滅したら当然に消滅する。そして両者は資本の消滅とともに消滅する。

 

君たちは我々が両親による児童の搾取をやめさせることを望んでいると言って非難するのか?我々はこの罪を認めよう。

 

しかし君たちは,我々が家庭教育を社会のものに置き換えるとき,我々が最も神聖な関係を破壊したという。

 

そして君たちの教育は!それも社会的で,直接あるいは間接に,学校などによって社会の介入により,君たちが教育される社会的条件によって決定されるのではないのか?共産主義者が教育における社会の介入を発明したのではない。その介入の性格を変え,支配階級の影響から教育を救おうとしているだけだ。

 

ブルジョアの家族と教育に関する,両親と子供の神聖な関係についてのたわごとは,近代工業の活動によりますます厭うべきものとなり,プロレタリアの家族の紐帯は引き裂かれ,彼らの子供は単なる商品や労働用具に変容する。

 

しかし,君たち共産主義者は女性の共有を導入しようとしていると,ブルジョアは声をそろえて叫ぶ。

 

ブルジョアは彼の妻を単なる生産用具と見なしている。彼は生産用具が共同で利用されると聞くと,自然に,同じことが女性にも起きるという結論以外のものを考え付くことができない。

 

彼は,真の目的は。女性が単なる生産用具であるという存在を止めさせることであるということを気付きもしない。

 

その他について言えば,ブルジョアの,共産主義者によって開設され公式に設立されると虚偽の主張をしている女性の共有に対する道徳的な憤慨ほどばかげたものはない。共産主義者は女性の共有を導入するまでもない。それは遠い昔から存在した。

 

ブルジョアは,プロレタリアの妻や娘を思い通りにするだけで満足せず,公娼は言うに及ばず,お互いの妻を誘惑することを最高の楽しみとしている。

 

ブルジョアの結婚は,実際には妻の共有制であり,そしてせいぜい,共産主義者が偽善で覆い隠されたものの代わりに開かれた合法的な女性の共有を導入したがっていると非難されうるにすぎない。あと言うべきことは,現在の生産の制度の廃棄は,この制度から生じる女性の共有すなわち公的または私的な売春の廃棄を伴う事は自ずと明らかである。

 

共産主義者は,さらに,祖国と民族性を廃棄することを望んでいると責められる。

 

労働者は祖国を持たない。彼らが持たないものを彼らから取り去ることはできない。プロレタリアートは最初に政治的支配権を獲得し,国の指導的階級になり,自らを国民として組織しなければならないから,ブルジョア的な意味においてではないが。ここまではそれ自身国民的である。

 

諸国民の間での国の相違と対立は、ブルジョアの発展、商業の自由、世界市場、生産様式とそれに相応する生存条件の画一化によって、日々ますます消滅する。

 

プロレタリアの支配はそれらをより早く消滅させる原因となる。統一した行動は、少なくとも文明国では、プロレタリアートの解放にとって、最重要な条件の一つである。

 

個人による他人の搾取に終止符が打たれるに応じて、ある国による他の国の搾取にも終止符が打たれる。国の中での階級対立が消滅するに応じて、ある国の他の国との対立も消え去る。

 

宗教的、哲学的、そして一般には、観念論的な立場から行われてきた共産主義に対する非難は、まともに吟味する値打ちがない。

 

人の思想、見解、概念、一言で言えば意識は、彼の物質的生存条件、彼の社会的関係と彼の社会生活によって変化することを理解するのに深い洞察が必要だろうか?

 

観念の歴史は、知的な生産が物質の生産が変わるに応じて性格を変えること以外の何を示したか?支配的な思想はいつの時代にも支配階級の思想であった。

 

人々が社会を革命的に変革する思想について語るとき、彼らは古い社会の中で新しい社会の要素が作られたという事実、そして古い思想の解体は古い生存条件の解体と歩調を合わせるという事実を表現しているにすぎない。

 

古代世界が最後の苦しみの中にあった時、キリスト教が古代宗教を征服した。キリスト教の思想が18世紀に合理主義に打ち負かされたとき、封建社会は革命的ブルジョアジーと死闘を行っていた。宗教の自由と良心の自由の思想は単に知的領域での自由競争の支配の表現に過ぎなかった。

 

次のように言われる。「確かに,宗教的、道徳的、哲学的、そして司法的な思想は、歴史的発展の過程で修正されてきた。しかし、宗教、道徳、哲学、政治学、および法律は、常にこの変化の中で生き延びた。」

 

「そのうえ、自由や正義のような全ての社会で共通の永遠の真理が存在する。しかし共産主義者は永遠の真理を破棄し、すべての宗教、すべての道徳を、それらを新しい土台の上に構成する代わりに破棄する。それ故、全ての歴史の経験に矛盾する行動をする。」

 

この非難は何に帰着するのか?すべての過去の歴史は階級対立の発展からなり,対立は異なった時代には異なった形態を前提とする。

 

しかしそれがどんな形態をとろうと,1つの事実はすべての過去の時代に共通である,すなわち,社会の一部に対する他の部分による搾取である。そのとき,過去の時代の社会的意識は,多様で様々な外観を持つにもかかわらず,階級対立の全体が消滅すること以外では完全に消し去ることのできないある共通の形態,あるいは一般的な思想の範囲内のものである。

 

共産主義革命は伝統的な所有関係とのもっとも根源的な断絶である。その発展が伝統的な思想ともっとも根源的な断絶を含むことは何ら不思議ではない。

 

しかし共産主義に対するブルジョアの異議についてはもう終えよう。

 

我々が上述したように,労働者階級による革命の最初の段階は民主主義をめぐる闘争に勝利しプロレタリアートを支配階級の地位に高めることである。

 

プロレタリアートは,次第にすべての資本をプルジョアから奪取し,国家,すなわち,支配階級として組織されたプロレタリアートの手に生産手段を集中させ,可能な限り迅速に生産力を増加させるために,その政治的支配権を使用する。

 

もちろん,始めは,これは財産権への,ブルジョア的生産様式への強権的な介入によらずには成し遂げられない。政策の手段によることは,それ故,経済的には不十分で不安定であるが,運動の過程で,自分自身を乗り超え,古い社会秩序へのさらなる介入を余儀なくさせ,生産様式をすっかり革命する手段として不可避のものとなる。

 

その政策は,もちろん,国によって異なるものとなろう。

 

とは言え,最も進んだ国では,以下が一般的に適切であろう。

 

1,土地所有の廃止と地代の公共目的への利用。

 

2.重度の累進的あるいは段階的な所得税。

 

3,相続権の廃止。

 

4.移出者や反逆者の財産の没収。

 

5.国家資本による国立銀行と排他的独占権による信用の国家の下への集中。

 

6.通信手段と交通手段の国家の下への集中。

 

7.国有の工場と生産手段の拡張。不毛地の耕作の開始と共通の計画に従った農地の改善。

 

8.労働への全員の平等な義務。産業軍の編成。特に農業において。

 

9.農業と製造業との結合。国土への住民のより均等な配置による都市と地方の全ての差別の段階的な解消。

 

10.公立学校でのすべての児童の無償の教育。現在の形態の児童の工場労働の廃絶。教育と工業生産の結合。

 

発展の過程で,階級の区別は消滅し,すべての生産物が全国民の広範な連合の手に集中される時,公的権力は政治的な性格を失う。政治的権力は,正確に言えば,ある階級が他を抑圧するための組織された権力である。プロレタリアートがブルジョアジーとの闘争において,状況の強制力により階級として組織され,革命によって自ら支配階級となり,そして古い生産様式を一掃すれば,これらの条件に加えて,階級対立と階級一般を一掃し,それによって階級としての自らの支配権も廃止する。

 

古い階級と階級対立に基づくブルジョア社会に代わって,各人の自由な発達が全員の自由な発達の条件である協同社会が出現する。

 

 

第三章 社会主義と共産主義の文献

 

1.反動的社会主義

 

A.封建的社会主義

 

フランスとイギリスの貴族は,その歴史的地位に起因して,近代ブルジョア社会に反対する小冊子を書くことを使命とした。1830年7月のフランス革命とイギリスの改革法(注A)において,これらの貴族は,憎むべき成り上がりものに二度までも敗北した。その時以来,深刻な政治的闘争は完全に不可能となった。文筆上の闘いだけが可能なものとして残った。しかし文筆の領域でさえ王政復古時代の古い要求は不可能になった(注1)。

 

同情を喚起するために,貴族は,自身の利益は眼中になく,搾取された労働者階級だけのためにブルジョアジーに対する告発をまとめることを余儀なくされる。このようにして,貴族は彼らの新しい支配者の不吉な運命を歌い,彼の耳に来るべき破局の不吉な予言をささやくことによって復讐した。

 

このようにして封建的社会主義が生まれた。半分は悲嘆で半分は風刺,半分は過去のこだまで半分は未来の脅威である。時には辛辣な,機知のある,鋭利な,ブルジョアジーの心臓の中心を突く打撃によって。しかしその効果は,近代の歴史の進行を理解する能力が全くなかったために,いつもばかげたものであった。

 

貴族は,人々を自分達の方へ集めるために,プロレタリアの施し袋を旗印として前面で振った。しかし人々は,しばしば彼らが参加したとき,彼らの後方に古い封建的な紋章を見て,大声で非礼に笑って去って行った。

 

フランスの正統王朝主義と「若いイギリス」の一派はこの見世物を披露した。

 

封建主義者は,彼らの搾取様式はブルジョアジーとは異なっていたことを指摘するにあたり,彼らは全く異なった今では古めかしくなった環境と条件で搾取したことを忘れている。彼らの支配の下では近代プロレタリアートは決して存在しなかったことを示すとき,彼らは近代ブルジョアジーは彼ら自身の社会の姿の必然的な後継者であることを忘れている。

 

その他に言えることは,彼らは自らの告発の反動的性格を少ししか隠さないので,ブルジョアに対する彼らの主な告発は,ブルジョア体制の下では階級は社会の古い秩序から根と枝を破壊する発展をする宿命であるということに帰する。

 

彼らのブルジョアジーに対する非難は,プロレタリアートを作り出したことよりも,革命的プロレタリアートとして作り出したことにある。

 

政治的実践において,それ故,彼らは強圧手段でもって労働者階級に対立する側に参加する。そして普通の生活では,彼らの気取った言葉にもかかわらず,彼らは産業の木から落ちる金のリンゴをかがんで拾い,真実や愛や名誉を,羊毛や砂糖や馬鈴薯酒精の交易のために安く売り渡す。(注2)

 

教区牧師がかつて地主と手に手を取り合ったのと同じことを,牧師社会主義は封建的社会主義に対して行う。

 

キリスト教徒の禁欲主義に社会主義の色合いをつけるほど簡単なことはない。キリスト教が私有財産に反対し,結婚に反対し,国家に反対し熱弁を振るわなかったことがあろうか?それらの代わりに,慈悲と貧困,独身と肉欲への禁欲,修道院の生活や教区大聖堂が伝道されなかっただろうか?キリスト教社会主義は貴族の不満を司祭が神聖化するために使う聖水に他ならない。

 

 

B.プチブルジョア社会主義

 

封建貴族はブルジョアによって没落されられた唯一の階級ではなく,生存条件が近代ブルジョア社会の環境の中でやせ細って死に果てた唯一の階級ではない。中世市民や小農は近代ブルジョアジーの先駆者であった。工業や商業が少ししか発展していない国では,これら2つの階級はなおも勃興するブルジョアジーと併存して生活していた。

 

近代文明が十分に発達した国では,プチブルジョアという新しい階級が形成され,プロレタリアートとブルジョアジーの間を漂い,ブルジョア社会の補完物として自らの存在を新たにした。この階級の人数は,しかしながら,競争作用によって常にプロレタリアへと零落し,近代工業の発展とともに,彼らが完全に,近代社会の独立した部分として完全に消滅し,マニファクチャー事業者や農業や商業において土地管理人や店主によって置き換わる時が近づいていることまでも彼らは知る。

 

人口の半分よりずっと多くが農夫からなるフランスのような国では,ブルジョアジーに対してプロレタリア側に立つ作家がブルジョアの時代に対する批評の中で,標準的な農夫とプチブルジョアの基準が使われ,これらの中間階級の立場から労働者階級に味方したのは自然であった。このようにしてプチブルジョア社会主義が興った。シスモンディがフランスのみならずイギリスでもこの流派の頭であった。

 

この社会主義の流派は近代の生産様式の矛盾を非常に鋭く解剖した。それは経済学者の偽善的弁明を暴露した。それは機械化と労働の分業の破滅的な効果を明らかにした。すなわちごく少数者への資本と土地の集中,過剰生産と恐慌を。それはプチブルジョアと農夫の不可避の破滅を,プロレタリアートの窮乏を,生産の無政府性を,富の分配におけるはなはだしい不公平を,国家間の絶滅的な産業戦争を,古い家族関係の,古い国民性の道徳的結束の解体を指摘した。

 

しかしながら,その積極的な目的において,社会主義のこの形態は,古い生産と交換の手段により古い所有関係と古い社会を復元すること,あるいは生産と交換の近代的な手段を,それらの手段によって破壊されたか破壊されようとしている古い所有関係の枠組みの中に閉じ込めることを強く願う。どちらの場合も,それは反動的であり空想的でもある。

 

その最後の言葉は,製造における共同のギルドであり,農業における家父長制である。

 

最終的に,不屈の歴史的事実が全ての自己欺瞞の陶酔効果を消散させた時,この社会主義の形態も憂歌への哀れな収斂の中に終わりを告げた。

 

 

C.ドイツの,あるいは「真正」社会主義

 

フランスの社会主義・共産主義文献,つまりブルジョアジーの力の圧力のもとに発生し,この力との戦いの表現であった文献は,ドイツにはブルジョアジーがこの国ではちょうど封建的絶対主義と闘い始めたときに紹介された。

 

ドイツの思想家,自称思想家,文士はこの文献を熱心に研究したが,ただこれらの文書がフランスからドイツに入ってきた時にフランスの社会条件も一緒に入ってきたのではないことを忘れていた。ドイツの社会条件に接するや,このフランスの文献はそのすべての直接の実際的な意味を失い純粋に文学的な表現だと解釈された。このようにして18世紀のドイツ哲学にとって,最初のフランス革命の要求は一般的に「実践理性」の要求であり,革命的なフランスのブルジョアジーの意志の表明は,彼らの目には,純粋意志,真の人間の意志一般に結びついた意志の法以外のものではなかった。

 

ドイツの知識階級の仕事は単に新しいフランスの思想を彼らの古い哲学的道義心と調和させて取り入れることか,あるいは,彼ら自身の哲学的観点から離れることなく取り入れることにあった。

 

その取入れは外国語を翻訳により当てはめるのと同じ方法で行われた。

 

修道士たちが古代の異教徒たちの古典的作品が書かれた手稿の上にいかにキリスト教の聖者たちの馬鹿げた生涯を描いたかはよく知られている。ドイツの文学者たちは世俗的なフランスの文献にこのやり方を逆に行った。彼らはフランスの原本にも似合わない哲学的たわごとを書いた。例えば,フランスの貨幣の経済的機能の批評には,彼らは「人間性の疎外」と書き,フランスのブルジョア国家の批評には,彼らは「普遍的範疇の廃止」と書いた,等々。

 

フランスの史実に基づく批評の背後にこのような哲学的語句の挿入を,彼らは「行動の哲学」「真正社会主義」ドイツの社会主義の科学」「社会主義の哲学的基礎」等という名前を授けた。

 

フランスの社会主義および共産主義文献はこのようにして完全に骨抜きにされた。そしてドイツ人の手で,ある階級と他の階級の闘争を表現することを止めたから,彼は「フランスの偏狭さ」を克服し,真の必要ではなく「真実」への必要を,プロレタリアの利害ではなく階級に属さず現実性のない哲学的幻想の霧深い王国にのみ存在する普遍的人間の本性の利害を代表したつもりであった。

 

学校の生徒の作業をそのようにまじめに厳粛に行い,その貧弱な商売道具をそのような香具師の流儀で称揚したドイツの社会主義は,その間に次第に学者ぶった無邪気さを失った。

 

ドイツ人の,特にプロイセンのブルジョアジーの封建的貴族制と絶対君主制に対する闘いは,別の言葉では自由のための運動は,より真剣になった。

 

これにより,「真正」社会主義に待ちに待った機会が与えられた。すなわち,社会主義的要求でもって政治運動に対峙し,自由主義に対する,代議制政府に対する,ブルジョア的競争に対する,ブルジョア的出版の自由,ブルジョア的立法,ブルジョア的自由と平等,に対する伝統的呪いを投げつけ,大衆にブルジョアの運動によって何も得ることなくすべてを失うと説教した。ドイツの社会主義は,フランスの批評は近代ブルジョア社会の存在をそれに相応する実在の経済的条件とこれに採用される政治的条件ともに予め前提とし,その獲得こそがドイツにおいて差し迫った闘争の目標であることを,フランスの馬鹿げたこだまとして都合よく忘れ去った。

 

絶対政府にとって,彼らは,教区牧師の従者,教授,地方の地主や役人とともに,脅迫するブルジョアジーを追い払う絶好の案山子として役に立った。

 

それはドイツの労働者階級の勃興に対して,むちと弾丸の苦い薬の後で,同じ政府がまさにその時に投薬した甘い仕上げ剤であった。

 

「真正」社会主義がこのようにドイツのブルジョアジーと闘う武器として政府に仕えている間に,それは同時に,反動的利害,ドイツの俗物たちの利害を直接に代表した。ドイツでは,16世紀の遺物でそれ以降いつも様々な形態で現れるプチ・ブルジョアが,現存の状態の真の社会的基礎である。

 

この階級の保存はドイツの現存の状態の保存である。工業と政治におけるブルジョアジーの支配権は,それを一定の破壊を伴いながら脅かす ー 一方では資本の集中によって,他方では革命的プロレタリアートの発生によって。「真正」社会主義は一石で二兎を追おうとした。それは流行病のように広がった。

 

思弁のクモの糸で織られた法衣は修辞の花で刺繍され甘ったるい感傷の露に包まれている。ドイツの社会主義者が自らの哀れな「永遠の真実」を全ての肌や骨から覆うこの超自然的法衣は,このような公衆の間で彼らの商品の売り上げを驚くほど増やすのに役立った。

 

そしてドイツの社会主義者の側は,次第に,プチ・ブルジョア的俗物の仰々し代表として自らにお召しがかかったことを認識した。

 

それはドイツ国民が模範的な国民であること,ドイツのプチ・ブルジョアの俗物が典型的な人間であることを宣言した。この型の人間の悪党らしい卑劣さに,実際の性格とはちょうど正反対の,隠された,より高い,社会主義的解釈を与えた。それは共産主義の「残忍で破壊的な」傾向の直接的な反対物であることを,自らの優越性と全ての階級闘争への厳正な軽蔑を宣言するまでに至った。ごくわずかな例外を除けば,現在(1847年)のドイツに流布されているすべてのいわゆる社会主義者と共産主義者の出版物はこの卑劣で気力を奪う文献に属する。(注3)

 

 

2.保守的・ブルジョア的社会主義

 

ブルジョアの一部分は,ブルジョア社会の存在が持続することを保証するために社会的な不平を取り除くことを願う。

 

この派には,経済専門家,博愛主義者,人道主義者,労働者階級の状態の改良家,慈善事業の組織者,動物虐待防止のための協会のメンバー,禁酒狂信者,想像できる限りの秘密の宗教改革者が属する。この型の社会主義は,さらに,完全な体系になった。

 

プルードンの「貧困の哲学」をこの型の例として引き合いに出そう。

 

社会主義的なプルジョアは,近代社会の条件のすべての利点を,そこから必然的に生じる闘争や危険なしに手に入れることを望む。彼らは社会の現存の状態を,革命的な崩壊要素抜きにして欲求する。彼らはプロレタリアート抜きのブルジョアジーを欲する。ブルジョアジーは自然に,自らが支配する世界を最も優れたものと考える。そしてブルジョア社会主義はこの心地良い概念をいろいろな多かれ少なかれ完全な体系へと発展させる。プロレタリアートをそのような体系に導き,そしてそれによって社会的新エルサレムへまっすぐに行進することを要求するために,それはプロレタリアートが既存の社会の束縛の範囲内にとどまり,ブルジョアジーに関するすべての憎むべき考えを捨て去ることだけを実際に要求する。

 

2番目の,より実際的であるが系統的ではないこの社会主義の形は,労働者階級の目に政治的改革は少しも示さず,生活の,経済関係の物質的条件だけが彼らの利益になると示すことによって全ての革命的運動を非難した。しかしながら,この型の社会主義は,生活の物質的条件の変化については,生産のブルジョア的関係の廃棄,革命によってのみ変化されうる廃棄を理解せず,これらの関係の継続した存在を前提とする経営上の改良を説く。改良は,それ故,資本と労働の間の関係に少しも影響を与えず,せいぜい,ブルジョアジーの政府の管理上の仕事のコストを減らし単純化するだけである。

 

ブルジョア社会主義は,単に演説の形をとった時にのみ,それにふさわしい表現になる。

 

労働者階級の利益のための自由貿易。労働者階級の利益のための保護関税。労働者階級の利益のための監獄改革。これがブルジョア社会主義の最後の言葉で唯一の本気で語られた言葉である。

 

それは次の句で言い尽くせる。ブルジョアは労働者階級の利益のためのブルジョアである。

 

 

3.批判的ユートピア的社会主義・共産主義

 

我々はここで,全ての偉大な現代の革命において,いつもプロレタリアートの要求を声に上げてきた,例えばバブーフほかによって書かれた文献には言及しない。

 

プロレタリアートの最終目的を達成するための最初の直接な企ては,封建社会が打倒される時に,全世界的な興奮のうちに行われたが,プロレタリアートの未発達な状態とその解放のための経済的条件が不在だったために,必然的に失敗した。その条件は,間もなくやってくるブルジョア時代のみによってつくられる。これらのプロレタリアートの最初の運動に伴う革命的文献は必然的に反動的性格を持っていた。それは普遍的な禁欲主義と粗野な形での社会的平等化を含んでいた。

 

世に言うところの社会主義や共産主義の体系,サン・シモン,フーリエ,オーウェンなどによるものは,前に書いたように,プロレタリアートとブルジョアジーの間の闘争(第一章 ブルジョアとプロレタリアを参照)の,早期の未発達な時期に現れた。

 

これらの体系の創始者は,いかにも,階級間の敵対を,社会の支配的な形態の中の解体要素とともに見出した。しかしプロレタリアートが彼らに見せ示したは,未だ幼児期にあり,歴史的な主導権や独立した政治運動抜きの階級の様相であった。

 

階級の対立の発達は工業の発達と歩調をそろえるので,彼らが目にした経済的条件はプロレタリアートの解放のための物質条件をいまだ提示していない。彼らはそれ故,これらの条件を作り出す新しい社会科学,新しい社会的法則を探求した。

 

歴史の動きは彼らの個人的な発明に従うものとされ,歴史的に作られる解放の条件は空想的なものとなった。そして次第に,プロレタリアートの自発的な階級組織は彼らの発明により特別に考案された社会の組織になった。未来の歴史は,彼らの考えでは,彼らの社会的計画の宣伝と実践に帰着する。

 

彼らが計画を作る際には,彼らは労働者階級,もっとも苦しむ階級の利害を意識して第一に配慮した。プロレタリアートは,彼らにとって,もっとも苦しむ階級という観点のみによって存在する。

 

階級闘争の未発達な状態と,彼ら自身の環境はともに,この種の社会主義者に彼らを全ての階級の敵対を超越した存在と感じさせるようになる。彼らは社会の最も恵まれた者も含めた全ての構成員の状態を改善することを望む。それ故,彼らはいつも,階級の区別なく社会全体に,いや,好んで支配階級に訴える。人々は,彼らの体系をいったん理解したら,どうしてそれが社会の最善の状態の最も可能性のある計画であることを理解しないことがあろうか?

 

それ故,彼らは政治的,特にすべての革命的行動を拒絶する。彼らは彼らの目的が,失敗が必然的に宿命づけられている平和的方法で,実例を示すことによって新しい社会的福音への道を開いて達成されることを望む。

 

未来社会についてのこのような空想的描画は,プロレタリアートはいまだ未発達な状態にあり,自身の地位への空想的な考えしか持てない時に,この階級の社会の全般的改造への最初の本能的憧れに照応して描かれた。

 

しかしこれらの社会主義者や共産主義者の出版物は批判的要素も含んでいた。彼らは既存の社会のすべての原理を攻撃した。それ故,それらは労働者階級の啓蒙のためには最も貴重な材料で満ちていた。現実的な対策が彼らに提示された - 都市と農村の対立,家族,私的利益ための産業の経営,賃金システムの廃止,社会の調和の宣言,国家の機能のより生産の管理への変換 - これらのすべての提案では,階級対立の消滅を示している。それはそのころようやく現れ始め,彼らの出版物の中では初期の不明瞭であいまいな形でしか認識されていない。これらの提案は,それ故,純然たるユートピア的性格のものであった。

 

批判的ユートピア的社会主義および共産主義の意義は,歴史の発達と逆比例の関係となる。近代的階級闘争が発達し明瞭な形をとるのと比例して,これらの闘争から離れた空想的な立場,闘争への空想的な攻撃はすべての実践的価値と理論的正統性を失う。それゆえ,これらの体系の創始者は,多くの点で革命的であったが,彼らの弟子はすべての場合に単なる反動的宗派を形成した。彼らはプロレタリアートの歴史的進歩とは反対に,その師匠の最初の見解に固執した。彼らは,それ故,一貫して,階級闘争を消し去り階級対立の調停に努力する。彼らはなおも彼らの社会的ユートピア,「ファランステーレ」の孤立した創立,「ホーム・コロニー」の確立や「小イカリア」(注4)の設立 - 小型判の新エルサレム - を夢見る。そしてこれらの空上の楼閣の実現のためにブルジョアの憐憫の情と財布に訴えざるをえない。次第に,彼らは,より体系的な学者ぶりと彼らの社会像の奇跡的な効果への空想的な迷信だけは相違するが,上述した反動的あるいは保守的社会主義の範疇へと落ちていく。

 

彼らは,それ故,労働者階級の側のすべての政治行動に激しく反対する。そのような行動は,彼らによれば,新しい福音への盲目的不信心にのみ起因する。

 

イギリスのオーウェン主義者とフランスのフーリエ主義者は,それぞれ,チャーチストとリフォルメに反対している。

 

注釈

 

(注1)イギリスの王政復古(1660-1689)のことではなく,フランスの王政復古(1814-1830)を指す。[エンゲルスの1888年の英語版への注]

 

(注2)これは主にドイツについて言えることである。そこでは土地所有貴族や紳士は,地所の大部分を自分の利益のために執事に耕作させ,そしてさらに大規模な甜菜(てんさい)糖製造業者や馬鈴薯酒精の蒸留酒製造業者であった。裕福なイギリスの貴族は,まだそれよりはましであった。しかし彼らは,彼らの名前を浮動証券や多かれ少なかれいかがわしい株式会社に貸すことにより減っていく地代を補う方法も知っていた。[エンゲルスによる1888年のイギリス販への注記]

 

(注3)1848年の革命の嵐はこの古めかしい傾向を一掃し,その主唱者たちに社会主義に手を染めたいという欲求を捨てさせた。この主な代表者でこの傾向の古典的な型はカール・グリューン氏である。[エンゲルスによる1890年のドイツ語版への注記]

 

(注4)ファランステーレはシャルル・フーリエの計画した社会主義コロニーで,イカリアはカベ―が彼のユートピアに,後には彼のアメリカの共産主義コロニーにつけた名前である。[エンゲルスの夜1888年の英語版への注記]

 

「ホーム・コロニー」はオーウェンが彼の共産主義のモデル社会に付けた名である。ファランステーレはフーリエにより計画された公共の館である。イカリアは,空想的ユートピアの地の名前で,その共産主義制度はカベ―が叙述した。[エンゲルスによる1890年のドイツ語版への注記」

 

(注A)労働者階級の圧力の下でイギリス下院で1831年に通過しついに1832年6月に貴族院で承認された選挙法の改革への言及。

改革は地所持ちの財力のある貴族の独占規定に反対して施行され,産業ブルジョアジーの代議士の議会への道を開いた。労働者とプチブルジョアは確約に反し選挙権は与えられなかった。

 

第四章 種々の既存の反政府党との関係における共産主義者の立場

 

第二章より,共産主義者と,イギリスのチャーチストやアメリカの農業改革者のような既存の労働者階級の政党との関係については明らかである。

 

共産主義者は当面の目的の達成のため,労働者階級のその時の関心の実施ために戦う。しかし現在の運動の中で,彼らはその運動の未来を代表し対処する。フランスでは,共産主義者は社会民主主義者(注1)と同盟して保守的・急進的ブルジョアジーと闘うが,しかしながら,大革命から伝統的に受け継いだ一面と幻想に関しては批判的な立場を取る権利を保持する。

 

スイスでは,彼らは急進派を支持するが,この党がフランス的な意味で民主的社会主義派と急進的ブルジョアという対立する要素からなる事実を見失うことはない。

 

ポーランドでは,彼らは,民族解放の主要な条件として農業革命を主張する党,1846年にクラクフの暴動を扇動した党を支持する。

 

ドイツでは,彼らはブルジョアジーが革命的に行動するときはいつもブルジョアジーとともに,絶対君主制と封建的土地所有者とプチブルジョアジーと闘う。

 

しかし彼らは,ドイツの労働者が直ちにブルジョアジーに向ける武器として,ブルジョアジーが支配権を得るために必要とする社会的政治的条件を使用できるようにするために,ドイツの反動的階級の没落の後でブルジョアジーとの闘いが直ちに開始できるようにするために,一瞬たりとも労働者階級にブルジョアジーとプロレタリアートの敵対関係の明白な可能性の認識を植え付けることを決して止めはしない。

 

共産主義者は主な注意をドイツに向ける。なぜならばドイツは,17世紀のイギリスや18世紀のフランスよりもヨーロッパの文明が進歩した状態で,ずっと発達したプロレタリアとともに実行されることになるブルジョア革命の前夜にあり,ドイツでのブルジョア革命はそれに続くプロレタリア革命の序曲にすぎないからである。

 

一言で言えば,共産主義者はいたるところで既存の社会的政治的制度に反対するあらゆる革命的運動を支持する。

 

これらすべての運動において,共産主義者は,所有の問題を,その時の発展の程度にかかわらず,各国の主要な問題として前面に提示する。

 

最後に,彼らは全世界の民主的政党との団結と協調のためにあらゆるところで努力する。

 

共産主義者は自らの見解と目的を隠すことを恥とする。彼らは自らの目的は全ての既存の社会の条件の強制的な転覆によってのみ達成されることを公然と宣言する。支配階級を共産主義革命の前におののかせよ。プロレタリアは鉄鎖のほかに失うものはない。勝ち取るものは世界である。

 

 

万国の労働者,団結せよ!

 

 

 

 

 

注釈

 

(注1) その党は議会ではルドリューロラン,出版物ではルイーブラン,日刊紙ではリフォルメにより代表される。社会民主主義という名前はその発案者によると,多かれ少なかれ社会主義の混じった民主党または共和党の一派である。[エンゲルス 英語版 1888年]

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